ぼっち山歩きの意外な効用

 

最近は一人でちょっとした山歩きをすることが多い。FIRA60二拠点生活をスタートさせる前は週末に友人達との山行がほとんどだったけど、今ほとんどは単独で山の中に入る。長野に滞在している時は、週2〜3回はトレッキングしている感じかもしれない。









もちろん熊は怖い。普段歩いてるところにもこういう看板が結構あるし。実際に二度ほどばったり遭遇したことすらある。その時は運良く熊の方からびっくりして逃げてくれたけど。








熊鈴はもちろんBluetoothスピーカーでラジオや音楽を流しながら歩くし、熊対策用の催涙スプレーも装着している。これは本当のところ熊遭遇時に使える自信は全くないのだけど、まあお守りくらいのもの。








こういういかにも熊が出没しそうな登山道(実際さきほどの熊注意の看板もここの入口にあった)を独りで歩くのは普通に怖い。木の葉やクマ笹がガサガサと音を立てるだけでもビクッとなり身構える。自分が近づくことにより、鳥などが羽ばたたく音がほとんどなんだけど。

これを続けているとだんだんと五感が鋭くなり、現代人が忘れてしまった太古の人類に戻ったような感覚に近づいていくような気がしてくる。森の中で人間は弱者なのである。山の中には石がころがったガレ場、またちょっとした川をこえたりぬかるんで歩きにくい場所や倒木もたくさんある。こうした情報を脳内でフル回転して処理している。

ビビりながら五感を鋭くし、足元を確認しながら、安全に留意し続ける山の独り歩きは認知症予防に最適なのでは?と思うようになってきた。

リタイヤするとどうしたって現役時代に比べコミュニケーション量が減るし、新しいことへのチャレンジがどんどん億劫になってくる。還暦超えたら更にいろいろ面倒になってくる。これでは認知症予備軍にどんどん近づく実感すらある。もちろんソーシャルメディアにはいつまでもいろいろ出かけたり資格勉強したりパワフルな人を多くみかける。これってみんなにできることじゃないんだな、これが。

そういう時、山の独り歩きは自分には非常に良い。少し怖いくらいが人間とって良い刺激なのかもしれない。新たなコミュニティに無理して入らなくても、山の独り歩きは認知症予防の意外な効用があるのでは、というお話でした。

熊に襲われたごめんなさい。こればっかりはどうしようもないです。